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死にかけの表情筋にAEDを

子どもの頃写真を撮られるのが大の苦手だった。

表情筋が死んでいるというか,どこか無表情であることに美徳を感じていた。

 

 

今になって分かるのは,表に出さない感情は誰も気づいてくれない
・・・ということだ。

まぁそれは置いておいて,とにかく写真が苦手だった。

 

 

『笑って~』
の言葉に「(笑ってるわ!)」と心の中で突っ込む。

 

 

 

ニコッと口の端だけで笑った顔はどうやら写真に写らないらしく

出来上がった写真は大抵無表情だった。

 

 

 

別に泥団子こねてるのに夢中になってる写真でも良いじゃん
カメラ目線である必要は無いじゃん

 

 

 

だが,出来た写真は当たり前というか,驚くほどブスだった。

 

大抵姉弟で写真を撮るとき(弟が一人いるのだが)
即座にカメラに向かってキラキラとした屈託の無い笑顔を向けることの出来る弟を羨ましく思った。

 

 

 

ありがたいことに表情筋を鍛える機会が高校デビューと同時だった。
演劇部に入ると,舞台上ではこれでもかというくらい大げさでないと客席まで伝わらない。

 

テレビドラマのような繊細な表情の変化は全くもって不必要とされて,大げさにやらなければ繊細さも演じられない事が分かった。

 

舞台メイクの力を借りても,演じる感情が全く伝わらない。
眉が動かず,笑顔の練習で顔の筋肉がつりそうになることもしばしばだった。

 

 

 

 

世の中,死んだ表情筋の内側まで見てくれる人はそうそう居ない。
どうせアレなら大げさなぐらい表現して6割方伝わるといったところだ。

 

 

最近は割と使い分けが出来るようになり,
仕事で嫌なことは無表情で流し,楽しい席では大げさに笑って見せる。

 

・・・この場合,あくまで“感情”が先行しないと成り立たないもので
未だに写真を撮るときには表情に困るのが正直なところだ。

 

 

 

 

福岡をぶらついた時,街中のポスターを見て思う。
「(博多華丸・大吉の大吉先生って写真撮るときいつも苦労してんだろうな・・・)」