言いたいことはすぐ言う

口が過ぎれば足を取られます。基本的にはWord2ページ程度

結局みんな手探り口探り

自分は割と喋りすぎるコミュ障だ。

・・・と思った時に「おや,そういえばいつから自分は変わったんだっけ?」と思う。
以前は全くもって他人とお喋りしようなんて思っていなかった。
 
多分高校デビューだろう・・・が,切り替えスイッチを入れたのは何でだろうと振り返ると,中学校の時,給食を食べていた同じ班のクラスメートの一言だった気がする。
 
そもそも小学生の頃は漫画を読み,外では遊ばず,大抵ひとりぼっちの時間を過ごしていた。
漫画の神様手塚治虫先生の作品で漢字と思想を巡らし
小学生にして,「結局人が一番怖いんだよね」という認識がすり込まれて,社会を知った気でいた。
 
弟はクラスの人気者。姉はクラスの陰気物。
なんて今では韻を踏めるが,当時は「一匹狼」気取りの自分でいたかった。
 
だけどクラスというたかが30~40人の集団で馴染まなければ社会では生きて行けないな。と自分では分かっていたが,
上っ面のつきあいの方法すら知らず,結局なんだかんだ理由を付けて未だに中学時代のクラスメートの連絡先は一切知らないし,何となく行きづらくて成人式は出席すらしなかった。
 
「孤独でも平気な自分」を変えたのは丁度M-1最盛期。(島田紳助さんがいたころだ)
 
給食の班(当時は軽くいじめられていたので何故か机はミリ単位で離されていた。
今では正直何のこっちゃと思うが・・・。)で流行のドラマだとか好きなブランドだとかの話をしていて,全く話に入れない中,クラスメートが聞いてきた。
 
『お前,お笑いとか全く見なさそうだけど何か見てるの?』
この一言が自分の動きを変えた。
「・・・笑点かな。」
自分の問いに班全員が吹き出した。
何がおかしいのか分からなかったけど
 
 
「(そういえばクラスの人気者って面白くて明るい奴だよな。)」
そう思った冬,生まれて初めてM-1を見た。
(当時自分はドリフしか知らないという昭和的児童で,
漫才は全く知らず,笑点大喜利くらいしかお笑いを知らなかった。)
 
 
もの凄く笑ったのを思い出す。
 
 
それから片っ端からお笑いを見た。笑いを誘うためにわざとこける事も覚えた。
(わざとこけるのは多分吉本だけなのだろうが・・・)
 
お笑い司会者の振り方や返し方。お笑いのラジオを聞いて事項に対するしゃべりやコメントの仕方など口調を少し真似て,
 
少しだけ住んでいた山口弁で他のクラスメートと差別化を図って,
分からないことには「へぇ,それどんなんなん?」と,相手が喋りやすいように振るなど若干キャバ嬢テクも少し入って居た気がする。
 
 
すると高校に入って少し変わった。
相変わらず友達は出来なかったが,キャッチボールが出来るようになった。
語彙数を増やし,相手が賑わうような他愛のない会話の方法が少しずつ身についた。
元々珍しい名前とあって初対面の人間には良くも悪くも覚えられた。
 
 
社会人になってコネクションを作ろうと思った。
多分定年まで勤めるであろう職場でコネクションを持つことは悪くない。
 
質問も電話で無く,担当がいればそこに走り,
3年間で地上4階の建物の地下ボイラー施設から屋上まで。
男子トイレの修理もしていたから知らないところはほぼ無かった。
 
仕事の質問から他愛の無い話とお菓子の手土産。
狭い職場の中でうざったかろうと用があれば歩いていった。
たった3年で本部に異動したが,今でもたまに本部に来る元・同僚から『おぉ,ぐーじか。どうだ最近。』
と,話の切り口は確実に出来ている。
 
 
他愛のない会話なんて不要だなんて言われるけど,他愛の無い会話からじゃないと要点の切り出し易さも変わってくると思う。
 
 
 
ただ、うちの職場で一番コミュ障の同僚が朝一番(しかも朝の挨拶抜きで)言った
『大根葉を取ろうと思ったら花が咲いちゃって・・・かわいそうで切れないんですよ』
には返事が出来なかった。
そんな同僚だが,割と愛されている。
”コミュニケーションを取ろう。”
その気持ちだけでも伝わればもしかすると何かしら切り口が見えてくるものかもしれない。
 
なんとなく疲れてtogetterを見ていて思ったことである。